太田幸司 wikipedia|無料辞書
|生年月日 =
|没年月日 =
|身長 = 176
|体重 = 74
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|プロ入り年度 =
|ドラフト順位 = ドラフト1位
|初出場 = 1970年4月19日
|最終出場 = 1982年9月29日日本ハム戦(後楽園)
|経歴 =
-->
◆ 来歴・人物
三沢基地の
軍属をしていた日本人の父と
白系ロシア人の母が
一人っ子として育てる。
三沢高校在学中に、野球部のエースとして
1968年夏、
1969年春・夏と
阪神甲子園球場で行われた
選抜高等学校野球大会・
全国高等学校野球選手権大会に連続出場を果たした。特に、1969年夏は、東北勢としては戦後初の決勝進出を果たした。その決勝戦、
松山商業戦に2日間の熱投が行われた。1日目は、三沢は満塁サヨナラの好機を2回も逃すなどもあり、延長18回(試合時間:4時間16分)を戦い抜いて0-0の引き分けとなった。太田はこの試合を1人で投げぬいた(投球数:262球)(因みに、松山商のエース・
井上明投手も1人で投げぬいている(投球数:232球))。再試合となった2日目の試合も全イニングを投げたが、2-4で敗戦。決勝戦計27イニング、
準々決勝からの連続45イニングを一人で投げ抜いた熱投も実らず準優勝に終わった。
混血ゆえ、薄茶色の髪に色白で端正な顔立ちの美少年だったため人気があり、加えてこの決勝戦の熱投もあって、「
コーちゃん」と呼ばれて
女子高校生などに絶大な人気があった。そのため「
悲劇の
ヒーロー」というよりも、「
甲子園球児の元祖アイドル」というべき存在だったと言える。
同年の
ドラフト会議で
近鉄バファローズから1位指名され、プロ入り。近鉄も、指名の挨拶に
佐伯勇オーナー自らが向かうなど最大限の敬意を払って迎えたという。コーちゃん人気はプロ入り後も全く衰えることなく、プロ入り初年の
1970年は、一軍でほとんど実績がないにもかかわらずファン投票1位を獲得して
オールスターゲームへの出場を果たす。
1971年、
1972年も一軍での実績がさほどないままオールスターファン投票1位を獲得し続けていた。
引退後は、
毎日放送の野球解説者、スポーツキャスターとして活躍している。意外に親しみやすいキャラクターと話し好きな性格で好評を得ている。ただ、2009年3月まで年間を通してMBSラジオの
帯番組に出演していた関係上、近畿広域圏以外での露出度は低い。また、無類の
ゴルフ好きとしても知られ、
2005年7月5日から
鳥取県の
大山ゴルフクラブで開催された
日本アマチュア選手権に出場した(1打差で予選落ちの43位)。
また一人っ子ゆえ両親の扶養(現役後年より三沢から
羽曳野市に家を作り両親を呼び寄せ同居、現在は両親とも
鬼籍)などがあり、後年まで独身を通していたが、44歳にして太田自身の後援会会長の娘と
できちゃった結婚し話題となった。現在子は3人とも4人ともいう。若手時代は東北なまりの残る青年であったが、現在では
関西弁に完全になじんでいる。
◆ 年度別投手成績