慶応3年
12月7日(
1868年1月1日)、海援隊/陸援隊士ら総勢16名(15名とも)が、三浦休太郎、新選組らが天満屋2階にて酒宴を行っていたところを襲い、出会い頭に、
十津川郷士の
中井庄五郎が「三浦氏は其許か」というなり斬りつけ、三浦休太郎は、頬頤を負傷する。その後、入り乱れるが、燈火を消し、暗闇での戦闘となる。斎藤は後から斬りかかられ命を落としそうになったが
梅戸勝之進(平隊士)が斎藤を守った。 変を聞きつけた新選組、紀州藩が援助に向かうが、着いた頃には、陸奥らは素早くその場を引き揚げていた。