1919年、
ギリシャが
アナトリアの支配を目論んでトルコ領の
イズミルに出兵してくる(
希土戦争)。それに対してケマルは徹底して抗戦する。そして
1920年4月にはケマル一派により「
大国民議会」が結成された。しかしメフメト6世はこれを承認せず、逆にケマルを逆賊として
死刑にするように宣告した上で、「カリフ擁護軍」と呼ばれる部隊を組織してケマル一派の鎮圧に乗り出すなどの抵抗を示した。同年8月には
セーヴル条約が結ばれたが、この批准に反対するケマルは国家を救うために独自の行動を取り始める。アナトリアに進撃してギリシア軍を破り、次いで
アルメニア人を弾圧・虐殺し、
1921年にはアナトリア西部に進出してギリシア軍を再度破り、
1922年にはイズミルをギリシアから奪い返すに至ったのである。これにより、希土戦争はトルコの勝利で終わった。
そして1922年11月1日、
トルコ革命が発生し、ケマルは大国民議会を
アンカラに召集して帝政の廃止を宣言する。廃帝となったメフメト6世にはこれに抗する術は無く、11月17日にイギリスの軍艦で
マルタへ
亡命し、ここに623年間続いたオスマン帝国は、実質的に滅亡した。ケマル・パシャは
大統領に就任し、
トルコ共和国が成立するに至ったのであった。宮殿を去る際に「ハレムにはかわいい五人の妻が残っているから連れ出してくれ」と言ったと言われている。