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「ブームタウン・ラッツ」||株式-master.com [05/23update]

ブームタウン・ラッツ wikipedia|無料辞書

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'''ブームタウン・ラッツ(The Boomtown Rats)は、ボブ・ゲルドフが率いたアイルランド出身のパンク/ニュー・ウェイヴのバンドである。
メンバー6人全員が、アイルランド共和国ダン・レアリー出身である。「ブームタウン・ラッツ」というバンド名は、ウディ・ガスリー自伝、『ギターをとって弦をはれ』(原題: ') に登場するギャングの名前に由来する。著名なバンドになりはしたものの、バンドとしての業績は、リードボーカリスト、ボブ・ゲルドフチャリティ活動の陰に隠れてしまっている。

◆略歴
1975年にボーカリストのボブ・ゲルドフを中心にアイルランドのダブリンで結成され、1977年にデビュー。1978年にシングル「Rat Trap」でアイルランド出身のバンドとしては初めて全英1位を獲得し、注目を浴びる。
1979年に全英1位となったシングル「I Don't Like Mondays(哀愁のマンデイ)」は、同年の1月29日アメリカサンディエゴの小学校で当時16歳の少女が起こしたライフル乱射事件を描いた曲。タイトルは彼女の犯行動機のひとつが「月曜日が嫌い」だったことによる。銃社会のアメリカで2億丁を越える銃が所有されているなか、頻繁に起こる乱射事件が起こるたびにこの曲がメッセージしている事柄が問われている。日本には1980年・1983年の2回来日公演をおこなっている。
6人編成であり、複数のリズムを集結させたポリリズムを持つバンドでもある。ゲルドフ曰く「ラッツはパンク感覚と共に抜群のメロデイーラインに恵まれたバンドさ。」
ゲルドフは1984年アフリカの飢餓救済のためのチャリティー企画バンド・エイドを成功させ、さらに1985年にはライヴエイドも成功させる。こうしてゲルドフが名声を得る一方でバンド活動は停滞、1986年に解散した。

◆ メンバー
ボブ・ゲルドフ (Bob Geldof) (Vo)
ジョニー・フィンガーズ (Johnny Fingers) (Key)
ギャリー・ロバーツ () (G)
ゲリー・コット () (G)
ピート・ブリケット () (B)
サイモン・クロー () (Dr)

◆楽曲の使用、バンドについての批評等
・ テレビで人気の医療ドラマ、『Dr.HOUSE』(') シーズン3の15話、「」の中で、ブームタウン・ラッツの楽曲、「哀愁のマンデイ」のイントロが使用されている。
・ アメリカのトーク・ラジオ・ショー、『ジム・ローム・ショー』(') のエンディング・コーナーで、ブームタウン・ラッツの楽曲、「アップ・オール・ナイト」(“Up All Night”) が使用されている。このコーナーでは、この曲が流れ、ジム・ローム () により “Huge Call of the Day” (今日一番の電話) が発表される。
ピート・ブリケット () により、ライブDVDのミキシングが行われ、フランチェスコ・カメリ () により、ブームタウン・ラッツのアルバム再リリースに向けてのエクストラ・トラックのミキシングがロンドンので行われた。
・ ゲルドフは1982年の映画、『ピンク・フロイド ザ・ウォール』で主役の「ピンク」を演じる。ゲルドフをキャスティングすることにロジャー・ウォーターズは懐疑的であった。ゲルドフが歌パートを歌えるかどうか確信が持てないと述べていた。
・ アメリカのスカ・パンク・バンド、サブライム () が、「ドント・プッシュ」(“Don't Push”) という曲の中に、ブームタウン・ラッツとその楽曲「アップ・オール・ナイト」を登場させている。サブライムのアルバム、『40オンス・トゥ・フリーダム』(') に収められているその曲の中で、
:"If I was a Boomtown Rat I would be stayin' up all night"
:(もしも自分がブームタウンのラットなら、一晩中起きているのに)
:と歌われている。
・ マンチェスターの伝説的なレコード・レーベル、ファクトリー・レコードを特集した、2007年のBBCのドキュメンタリー番組、『'』の中で、レーベル創設者のトニー・ウィルソン () が、1970年代にブームタウン・ラッツをテレビに出さなかったことは正しい判断だったと述べている。インタビューの中でウィルソンは、一言、"F…'em." と付け加え、選ばなかった他の532組のバンドと同様、ひどいバンドだったとにおわせている。

◆ディスコグラフィー

◇シングル