1526年、
ハンガリー王
ラヨシュ2世が
モハーチの戦いで戦死すると、皇帝カール5世の弟、オーストリア大公フェルディナント(後の皇帝
フェルディナント1世)がハンガリーと
ベーメンの王位を継承することになった。ハンガリーは帝国の領域外にあり、ハプスブルク家は皇帝としてではなく、あくまでハンガリー王としての資格で統治下に置いた。一方、ハプスブルク家は神聖ローマ皇帝位を事実上
世襲し、形式上は現在の
ドイツを中心とする帝国の領域の君主であったが、実質的にその統治はハプスブルク家の所領の外には及んでいなかった。ハプスブルク家の統治が及んでいた帝国内外の領域は、全体としては公式の名称を持っていなかったが、事実上は1つの国家として機能していた。同時代の人々もこれを国家として認識し、
オーストリアと呼称していた。