ジョン・タイラーは、1790年にジョン・タイラー(1747年 - 1813年)およびメアリー・アーミステッド夫妻の息子としてバージニア州グリーンウェイで生まれた。父親はバージニア州知事(1808年 - 1811年)で、彼は下院議員職後に知事(1825年 - 1827年)として父親の後を継いだ。
ジョン・タイラーは、大統領選挙からわずか一か月後に
肺炎で亡くなった
ウィリアム・ハリソンから大統領職を継承した。なお、この継承は公式には
1967年発効の「
合衆国憲法修正25条」まで厳密に認められなかった。「偶然内閣」、「継承内閣」と揶揄されたが、その反発から独断専行し議会と対立。1期4年の間に9回の拒否権を発動した。更に、所属の
ホイッグ党の政策に従わず、時の党首
ヘンリー・クレイらと激しく対立。大統領就任から2か月ほどで党から除名された。これにより彼は「政党を持たざる男」として知られることとなった。タイラーは元
民主党員で南部州権論者の信奉者であり、北部を基盤にするホイッグ党の急進的な政策とはしばしば対立していた。ホイッグ党はその後、「タイラー降ろし」の圧力をかけ、閣僚6名中5人を辞職させた。
また、大統領選挙に前後して
ロード・アイランド州で
選挙人制度に不満を持つ改革派の不満が爆発し、同年州議会を無視して州民代表会議を招集して
トーマス・ドアを知事に選出した、いわゆるが起こった。同州は1941年までには白人男子普通選挙制度を持たない唯一の州となっており、ドアらは白人男子普通選挙制を唱えて武装蜂起したが、反乱が頂点に達した翌
1842年4月にタイラーは鎮圧に加勢するための連邦軍派兵を決定、反乱は鎮圧された。
43年には穏健改革派によって新州憲法が制定された。