コルモゴロフは彼のおばの村の学校で教育を受けた。彼の
識字能力の高さと数学の論文とが学内の新聞に載るほどであった。また若くして、彼は
永久機関を設計しており、彼の中等学校の教師がでも分からない程度の欠陥しかないほど優秀であった。1910年に、彼の才能を見出したおばは、コルモゴロフを連れて
ギムナジウムに通うべく
モスクワに引っ越し、コルモゴロフは1920年にそれを卒業した。
1920年に、コルモゴロフは、
モスクワ大学および化学技術研究所(Chemistry Technological Institute)で研究を始めた。コルモゴロフは彼の広範囲の博識に関する評判を獲得した。 学生時代、彼はロシア人の歴史家バクルスキン(S.V.Bachrushin)のセミナーに参加し、15〜16世紀の
ノヴゴロド公国における土地所有習慣についての彼の最初の研究論文を発行した
[David Salsburg, The Lady Tasting Tea: How Statistics Revolutionized Science in the Twentieth Century, New York, W. H. Freeman, 2001; pp. 137–50.]。また同時期(1921〜1922)に、コルモゴロフは
集合論と
フーリエ級数の理論のいくつかの結果を引き出し、立証した。